新宿御苑の菊花壇展の白眉とされるのが明治17年(1884)から作られている大作り花壇です。
かつては江戸菊で作られていたそうですが、現在は大菊で半円形に仕立て、
一株についた数百輪もの花を同時に咲かせるという技は想像を絶するものでした。
花壇展の一年前の秋口にさし芽をし、冬場にガラス室で加温、電照をしながら花芽を形成しないように育て、
摘芯、摘蕾を繰り返して枝数を増やす技法は、全国の菊花展で見られる千輪作りの先駆けとなったそうです。
518輪の白花の「裾野の月」2鉢、558輪の黄花の「裾野の輝き」1鉢がひのき製の舟形鉢に植えられて
障子屋根とよしず張りの風情ある大きな上家の中に展示されている姿は圧巻の一語でした。
また全ての菊に付けられている名前は古今和歌集から採られたと言われています。 |
江戸時代に江戸で栽培が始まった江戸菊は豊かな色彩を特徴とし、
新宿御苑では明治11年(1878)に栽培が始められた最も古い歴史を持つ古典菊です。
一般にも栽培され、菊の中でも中心的な存在であったため、中菊や正菊とも呼ばれる江戸菊は、
咲き進むと共に中心部の平らな平弁、中間部のスプーン状の匙弁、外側の筒状の管弁の3種類の花びらが
開いたり、丸まったりと変化をみせるため、狂菊、舞菊、芸菊などの別名も持ち、
篠竹を使って一鉢に27輪仕立てに結い立てる技法は、
「しのつく雨」を模したもので、「篠作り」技法と呼ばれています。 |
茶室の楽羽亭前には大正14年(1925)に栽培が始まった一文字菊・管物菊花壇がありました。
16枚前後の幅の広い花びらが円形に開く一文字菊は大輪咲きの中で唯一の一重咲き品種で、
皇室の御紋章デザインの基になったことから、御紋章菊とも呼ばれています。
細長い管状の花びらが放射状に咲く管物菊は、
形状から糸菊、細菊とも呼ばれ、新宿御苑で独自に作られた品種で、
一株一花の一本立ての菊を一列一品種ずつ黄、白、紅と順序良く植えこんだ配列は、
神馬の手綱を表わす「手綱植え」と呼ばれる新宿御苑独自の様式だそうです。 |
肥後菊花壇は一見、地味に見えますが、門外不出と言われた方法で栽培された一重の肥後菊が、
苔を載せた黒土の土間に鉢ごと植えられて、静かで味わい深い風情を見せていました。
江戸時代に肥後地方(熊本県)の藩主・細川重賢公により、藩士の精神修養の一貫として園芸が奨励され、
肥後六花(菊・椿・山茶花・菖蒲・朝顔・芍薬)の栽培が発達したと言われています。
管状の花びらを持つ「陽の木」は一株11輪、平らな花びらの「陰の木」は一株12輪に枝分けして仕立て、
花は春、葉は夏、苔は秋、茎は冬と一本で四季を表すなど、
肥後菊は秀島流とよばれる厳格で独特な様式による栽培方法や飾り方を持っているようです。
新宿御苑では昭和5年(1930)から栽培されています。 |
7箇所目の花壇は明治17年(1884)から栽培が始められた菊の代表的な品種である大菊の花壇です。
中心がふっくら盛り上がる「厚物」と、花びらの先端が外側に流れる「厚走り」の大菊を一列一品種に整え、
一文字菊・管物菊花壇と同様の手綱植えにした花壇には、39品種311株が植えられ、
花色の変化や上家の風雅なしつらいを味わう新宿御苑ならではの様式美を鑑賞する空間となっていました。 |
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菊花壇展の鑑賞を感嘆と共に終えて、旧御凉亭からの日本庭園の景観も楽しんだ後、
黄葉が美しく、気根が珍しい沼杉や固い実をたくさんつけたハンカチの木などを観察しながら、
12時過ぎに新宿御苑を後にして、近くの中華料理店での昼食会で観察会を締めくくって、
参加者全員が充たされた晩秋の半日となりました。
菊花壇展の歴史や伝統と、4年の歳月をかけて育成した中から1000株にひとつほどに厳選されたものが
展示されるという栽培の奥深さに触れて、菊への認識を新たにすると共に、
毎年11月1日から15日に開催する菊花壇展がいつまでも伝承されることを心から願った観察会でした。
参考:笠松さん解説、新宿御苑パンフレット、インフォメーションセンター展示パネル |