秋 の 観 察 会                                  
                   2013・11・12(火) 参加者:10名
  

緑グループの久々の観察会として、新宿御苑のインフォメーションセンターに午前10時に集合して、
「菊花壇展」を見学しました。

菊は奈良時代後期に延命長寿の薬として中国から渡来、平安時代に入ると、
中国の故事にならった陰暦9月9日の「重陽の節句」(観菊の宴)や、
朝廷に仕える貴族が菊を持ち寄って詩歌を競い合う「菊合わせ」を行なうなど、
段々と愛好する風習が広がっていったと言われています。

明治2年(1869)に菊が皇室の公式紋章とされた後、
明治11年(1878)に赤坂仮皇居で「菊花拝観」が催され、
明治37年(1904)からは当初は赤坂離宮内で栽培されていた展示用の菊が新宿御苑でも栽培され始め、
観菊会が皇室行事として新宿御苑で行われるようになった昭和4年(1929)頃、
菊展示の規模、技術、デザインの充実期を迎えて、
新宿御苑はパレスガーデンとして海外にも広く知られるようになっていったそうです。



戦争による中断を経た後、今も皇室ゆかりの伝統的な展示様式を引き継いで開催している「菊花壇展」を、
東京農大グリーンアカデミーを修了後、新宿御苑の菊のボランティアとして活躍していらっしゃる
笠松さんのご案内で鑑賞しました。
会場となっている日本庭園では雨に強い品種の菊を用いた露地花壇に出迎えられました。
  

庭園各所に上家(うわや)を設けて作られた花壇を回遊しながら鑑賞するのが新宿御苑独特の形式で、
懸崖作り花壇から菊の鑑賞が始まりました。

断崖の岩間に垂れ下がる野菊を表現したのが懸崖作りで、
竹と木を使った竹木軸上家の内部に古木で作った鉢台を置き、床には枯れ松を敷き、
地面前面には富士山の溶岩や石で水の流れを造って、野趣あふれる情景を演出していました。

一重咲の小菊を枝分かれさせ、一株に数百輪の花を咲かせる日本独自の栽培法で舟形に仕立て上げ、
配色よく展示された懸崖作り花壇は、新宿御苑では大正4年(1915)が作り始めと言われています。
景観に溶け込んでいる姿を、池の対岸から見ることも忘れてはならない懸崖作り花壇でした。


  
伊勢菊                   丁子菊                  嵯峨菊  

2番目は古来から栽培、新宿御苑では昭和30年(1955)から栽培が始まった3種類の菊花壇でした。

伊勢菊は三重県松坂など伊勢地方で発達した菊で、咲き始めには縮れている花びらが開花と共に伸び、
垂れ下がってしだれ咲きをするのが特徴で、満開時には写真の倍ほどの長さになる花を、
昔は座敷に正座をして鑑賞する習わしがあったそうです。

花の中心部が盛り上がる丁子菊は、中心の筒状花が香料の丁子の蕾に似ていることに名前が由来し、
江戸時代に主に関西で盛んに栽培されていた品種で、
中心に1本と周りに6本の「一六作り」に仕立てて、花壇に植えこんでいます。

伊勢菊と同様に、箒をさかさまに立てた様子を模した「箒作り」の嵯峨菊は、
平安時代に嵯峨天皇が好まれた菊として嵯峨御所(現・大覚寺)に植えられたのが始まりとされ、
細長い花びらがすべて立ち上がった状態が満開とされ、
立って見下ろすと美しく見える日本で最も古い歴史を持つ古典菊です。


 

新宿御苑の菊花壇展の白眉とされるのが明治17年(1884)から作られている大作り花壇です。

かつては江戸菊で作られていたそうですが、現在は大菊で半円形に仕立て、
一株についた数百輪もの花を同時に咲かせるという技は想像を絶するものでした。
花壇展の一年前の秋口にさし芽をし、冬場にガラス室で加温、電照をしながら花芽を形成しないように育て、
摘芯、摘蕾を繰り返して枝数を増やす技法は、全国の菊花展で見られる千輪作りの先駆けとなったそうです。

518輪の白花の「裾野の月」2鉢、558輪の黄花の「裾野の輝き」1鉢がひのき製の舟形鉢に植えられて
障子屋根とよしず張りの風情ある大きな上家の中に展示されている姿は圧巻の一語でした。
また全ての菊に付けられている名前は古今和歌集から採られたと言われています。


 

江戸時代に江戸で栽培が始まった江戸菊は豊かな色彩を特徴とし、
新宿御苑では明治11年(1878)に栽培が始められた最も古い歴史を持つ古典菊です。

一般にも栽培され、菊の中でも中心的な存在であったため、中菊や正菊とも呼ばれる江戸菊は、
咲き進むと共に中心部の平らな平弁、中間部のスプーン状の匙弁、外側の筒状の管弁の3種類の花びらが
開いたり、丸まったりと変化をみせるため、狂菊、舞菊、芸菊などの別名も持ち、
篠竹を使って一鉢に27輪仕立てに結い立てる技法は、
「しのつく雨」を模したもので、「篠作り」技法と呼ばれています。
  

茶室の楽羽亭前には大正14年(1925)に栽培が始まった一文字菊・管物菊花壇がありました。

16枚前後の幅の広い花びらが円形に開く一文字菊は大輪咲きの中で唯一の一重咲き品種で、
皇室の御紋章デザインの基になったことから、御紋章菊とも呼ばれています。
細長い管状の花びらが放射状に咲く管物菊は、
形状から糸菊、細菊とも呼ばれ、新宿御苑で独自に作られた品種で、
一株一花の一本立ての菊を一列一品種ずつ黄、白、紅と順序良く植えこんだ配列は、
神馬の手綱を表わす「手綱植え」と呼ばれる新宿御苑独自の様式だそうです。


 

肥後菊花壇は一見、地味に見えますが、門外不出と言われた方法で栽培された一重の肥後菊が、
苔を載せた黒土の土間に鉢ごと植えられて、静かで味わい深い風情を見せていました。

江戸時代に肥後地方(熊本県)の藩主・細川重賢公により、藩士の精神修養の一貫として園芸が奨励され、
肥後六花(菊・椿・山茶花・菖蒲・朝顔・芍薬)の栽培が発達したと言われています。

管状の花びらを持つ「陽の木」は一株11輪、平らな花びらの「陰の木」は一株12輪に枝分けして仕立て、
花は春、葉は夏、苔は秋、茎は冬と一本で四季を表すなど、
肥後菊は秀島流とよばれる厳格で独特な様式による栽培方法や飾り方を持っているようです。
新宿御苑では昭和5年(1930)から栽培されています。
  

7箇所目の花壇は明治17年(1884)から栽培が始められた菊の代表的な品種である大菊の花壇です。
中心がふっくら盛り上がる「厚物」と、花びらの先端が外側に流れる「厚走り」の大菊を一列一品種に整え、
一文字菊・管物菊花壇と同様の手綱植えにした花壇には、39品種311株が植えられ、
花色の変化や上家の風雅なしつらいを味わう新宿御苑ならではの様式美を鑑賞する空間となっていました。
菊花壇展の鑑賞を感嘆と共に終えて、旧御凉亭からの日本庭園の景観も楽しんだ後、
  黄葉が美しく、気根が珍しい沼杉や固い実をたくさんつけたハンカチの木などを観察しながら、
12時過ぎに新宿御苑を後にして、近くの中華料理店での昼食会で観察会を締めくくって、
参加者全員が充たされた晩秋の半日となりました。


菊花壇展の歴史や伝統と、4年の歳月をかけて育成した中から1000株にひとつほどに厳選されたものが
展示されるという栽培の奥深さに触れて、菊への認識を新たにすると共に、

毎年11月1日から15日に開催する菊花壇展がいつまでも伝承されることを心から願った観察会でした。

    参考:笠松さん解説、新宿御苑パンフレット、インフォメーションセンター展示パネル